孫氏
漢姓 (そん)
孫氏(そんし)は、漢姓の一つ。
孫 | |||||||||||||||||||||||
中国語 | |||||||||||||||||||||||
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中国語 | スエン | ||||||||||||||||||||||
繁体字 | 孫 | ||||||||||||||||||||||
簡体字 | 孙 | ||||||||||||||||||||||
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ベトナム語 | |||||||||||||||||||||||
ベトナム語 | トン | ||||||||||||||||||||||
クオック・グー | Tôn | ||||||||||||||||||||||
チュノム | 孫 |
中国
編集2020年の中華人民共和国の第7回全国人口調査(国勢調査)に基づく姓氏統計によると中国で12番目に多い姓であり、1944.33万人がいる[1][2]。一方、台湾の2018年の統計では第49位で、86,107人がいる[3]。
- 嬀姓孫氏(陳氏・田氏)
また、後漢の孫堅及び孫策親子もまた孫武の子孫とされるが、孫堅以前の父系の記録が不明であるため、その信憑性に欠けるという指摘もある[4]。
ちなみに、孫堅の家系は孫策の弟・孫権が、兄の死後その家督を継承し、三国時代において呉を建国した。その後、呉は晋により滅亡させられるが、孫氏の末裔は現在の浙江省杭州市富陽区南部の龍門古鎮という村に住んでいるとされ、この村では9割の人間が孫姓である。
また、同じ富陽区の場口鎮の外れにある集落にも孫氏の末裔がいるとされ、「孫氏宗祠」を守っている。
著名な人物
編集- 孫叔敖 - 春秋時代の政治家。楚の荘王に仕え、荘王に天下の覇権を握らせた。
- 孫武 - 春秋時代の武将・軍事思想家。兵法書『孫子』の作者。
- 孫臏 - 戦国斉の軍人・思想家。兵家の代表的人物の一人。孫武の子孫。
- 孫程 - 後漢中期の宦官。後漢の安帝 (漢)の外戚閻氏を誅殺した。
- 孫堅 - 後漢末期の武将。
- 孫策 - 後漢末期の武将。孫堅の長男。
- 孫権 - 三国時代の呉 (三国)の初代皇帝。孫策の弟。
- 孫登 - 三国時代の呉の皇族。孫権の太子。早世し、二宮事件の発端となった。
- 孫和 - 三国時代の呉の皇族。孫権の子。
- 孫覇 - 三国時代の呉の皇族。孫権の子。
- 孫亮 - 三国時代の呉の二代皇帝。孫権の末子。
- 孫峻 - 三国時代の呉の武将・政治家。孫堅の従曾孫(孫堅の弟・孫静の曾孫)。
- 孫休 - 三国時代の呉の三代皇帝。孫権の子。
- 孫綝 - 三国時代の呉の武将・政治家。孫峻の従兄弟。
- 孫晧 - 三国時代の呉の最後の皇帝。孫和の子。
- 孫文 - 政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。「中国革命の父」・「国父」。
- 孫伝芳 - 清末民初の軍人。
朝鮮
編集→詳細は「孫 (朝鮮人の姓)」を参照
ベトナム
編集孫(トン)は、ベトナムの姓の一つ。
著名な人物
編集- トン・ドゥック・タン(孫徳勝) - ベトナム民主共和国・ベトナム社会主義共和国の政治家。
琉球
編集孫(そん)は、琉球王国の士族が持った唐名(からなー)の姓の一つ。
→「沖縄県の名字」も参照
氏族
編集脚注
編集- ^ “中国信息报 2022年11月11日 2版 - “百家姓”规模及其占全国总人数比重” (中国語). 中国信息报 (2022年11月11日). 2023年2月11日閲覧。
- ^ ““百家姓”人口占全国人口比重达84.55%” (中国語). 中国信息报 (2022年11月11日). 2023年2月11日閲覧。
- ^ “全國姓名統計分析”. 中華民国内政部. p. 280 (2018年10月). 2023年1月18日閲覧。
- ^ 宋代に書かれた『異苑』という書物に、瓜売りをしていたのが孫堅の父「孫鍾」という人物で、同じく南朝宋の文献と見られ、『幽明録』(現在は散逸)にも、東晋の裴啓が著した『裴子語林』にも「孫鍾」の名が記されており、それによると孫堅は「孫武の子孫」とは一切記されていない。
参考文献
編集- 山口直樹『三国志を行く-群雄決起編』世界文化社、2006年。ISBN 4-418-06115-0。