孫 慎(そん しん、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の皇族。揚州呉郡富春県の人[1]。孫河の孫で、孫俊の末子。
天紀元年(277年)夏、夏口督の官にあった孫慎は、魏の領土である汝南郡へ進軍して焼き討ちをかけ、住民を捕虜として帰還した[2]。
官位は鎮南将軍に昇った。子の孫拯は西晋の時代においても名を上げ、『晋書』陸機伝に付伝される。
出典:陳寿撰、裴松之注、小南一郎訳 『正史 三国志』(ちくま学芸文庫)6巻、342頁