孫基
生涯
編集五鳳年間に呉侯に封じられた。
皇帝の孫亮に近侍していたが、太平2年(257年)、御馬を盗んだ罪で獄に下された。その罪は死刑に該当したが、孫亮と侍中の刁玄とは孫基を助命したいと願い、議論の末に刁玄の提案通り、宮中の範囲内で恩赦を下し、孫基を免罪とすることで落着した。
孫皓が皇帝に即位すると、孫基と弟の孫壱[2]は爵位・領国を削られ、会稽郡烏傷県に流罪に処された。孫皓の父の孫和と、孫基・孫壱の父の孫覇が後継者争い(二宮事件)で対立した因縁に起因する。
脚注
編集出典
編集- 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻59 呉書 孫覇伝(中国語版ウィキソース)
- 中国の思想刊行委員会編『三国志全人名事典』225頁(徳間書店、1994年11月)