孝懿李皇后
李皇后(りこうごう)は、明の隆慶帝の最初の正室(即位前に没した)。孝懿荘皇后(こういそうこうごう)と諡された。
李妃 | |
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明の追贈皇后 | |
孝懿荘皇后李氏 | |
別称 | 孝懿貞恵順哲恭仁儷天襄聖荘皇后 |
出生 |
不詳 順天府昌平県 |
死去 |
嘉靖37年4月13日 (1558年4月30日) 順天府、紫禁城 |
埋葬 | 昭陵 |
配偶者 | 隆慶帝 |
子女 | 朱翊釴、蓬莱公主 |
父親 | 李銘 |
経歴
編集順天府昌平県の庶民であった李銘の娘として生まれた。嘉靖32年(1553年)2月、裕王朱載坖(後の隆慶帝)にとつぎ、裕王妃となった。夫婦仲は良く、世子と長女を産んだ。嘉靖37年(1558年)4月、李氏は早世した。2人の子供も早世した。
隆慶帝が即位すると、孝懿皇后の諡号を追贈された。父の李銘が徳平伯に封じられ、男子が皇太子に、女子が公主に追封された。その後、夫の諡を重ねて「孝懿貞恵順哲恭仁儷天襄聖荘皇后」と加諡された。
子女
編集- 朱翊釴(憲懐太子)
- 蓬莱公主
伝記資料
編集- 『明世宗実録』
- 『明穆宗実録』