孝侯
晋の君主
孝侯(こうこう、生年不詳 - 紀元前724年)は、中国の春秋時代の晋の君主。姓は姫、名は平。
孝侯 姫平 | |
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晋 | |
侯 | |
王朝 | 晋 |
在位期間 | 紀元前739年 - 紀元前724年 |
都城 | 翼 |
姓・諱 | 姫平 |
諡号 | 孝侯 |
没年 | 紀元前724年 |
父 | 昭侯 |
生涯
編集晋の昭侯の子として生まれた。紀元前739年、昭侯が潘父に殺害されると、孝侯が晋侯として擁立された[1]。曲沃の桓叔の侵入を撃退し、潘父を処刑した。紀元前726年、軍を発して曲沃の穀物を焼き払って帰還した[2]。紀元前724年、孝侯は翼で曲沃の荘伯に殺害された。晋の人々が兵を発して荘伯を攻撃し、荘伯は曲沃に撤退した。孝侯の弟の鄂侯が晋侯に擁立された[1]。
脚注
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