姜㳣
姜 㳣(カン・ノ、朝: 강로、1809年 - 1887年)は、李氏朝鮮の政治家。本貫は晋州姜氏。字は期中、号は豹雲、貞隱。諡号は翼憲公。
姜㳣 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 강로 |
漢字: | 姜㳣 |
発音: | カン・ノ |
生涯
編集京畿道振威県令に在任中の1848年に、科挙の文科に及第し、1851年に正三品堂上に昇進した。都承旨などを歴任し、1863年に東萊府使に就任、1865年に従二品に昇進し、1966年以降、兵曹・吏曹参判を歴任、1870年に正二品に昇進し、工曹・兵曹の判書を経て、1872年に左議政に就任した。1873年に罷免されたが、1879年3月に復職した。1883年5月には大院君派の弾圧に連動して、慶尚道安義県に配流され、翌年釈放された。1886年12月に奉朝賀となったが、翌年に死去した。