姚 依林(よう いりん、ヤオ・イーリン、1917年9月6日 - 1994年12月11日)は中華人民共和国の政治家。長期にわたって経済を担当した国務院の保守派官僚。原籍は安徽省貴池県

姚依林
母の蔡亦民と
生年月日 1917年9月6日
出生地 イギリス領香港
没年月日 (1994-12-11) 1994年12月11日(77歳没)
死没地 北京市
所属政党 中国共産党
配偶者 洪壽子

中華人民共和国の旗 国務院常務副総理
内閣 李鵬内閣
在任期間 1988年4月12日 - 1993年3月29日
国家主席 楊尚昆

中華人民共和国の旗 国務院副総理
内閣 華国鋒内閣
趙紫陽内閣
在任期間 1979年7月1日 - 1988年4月12日

中華人民共和国の旗 第3代・第5代国家計画委員会主任
内閣 趙紫陽内閣
李鵬内閣
在任期間 1980年8月 - 1983年6月
1987年6月 - 1989年12月
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姚依林
各種表記
繁体字 姚依林
簡体字 姚依林
拼音 Yáo Yīlín
和名表記: よう いりん
発音転記: ヤオ・イーリン
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経歴

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北京政府の軍人だった父親を幼年期に亡くし、母・蔡亦民に従って江蘇浙江上海を転々とする。1934年、清華大学の民族武装自衛会で活動、1935年11月に中国共産党に入党。1936年6月天津市党委員会宣伝部長となり、学生運動の指導に従事した。中華人民共和国建国後は貿易部、商業部、中央財政貿易部の副部長(次官)を歴任。1958年、第8期全人代で中央候補委員に当選。1960年に商業部長(大臣)に昇進。

文化大革命で失脚するが、1973年に対外貿易経済合作部副部長として復活。1977年第11期党大会で中央委員に、1978年に党中央委員会副秘書長となる。同年12月、党第11期3中全会において「二つのすべて」路線が批判され、汪東興党副主席が自己批判を余儀なくされると、汪が兼任していた党中央弁公庁主任の職を引き継いだ[1]

1979年7月1日、第5期全人代第2回会議においてに国務院副総理に任命され[2]、同日に国務院財政経済委員会秘書長となる[3]1980年には国家計画委員会主任(大臣級)を兼任[4]鄧小平の改革路線とは一線を画すスタンスであり、保守派の長老陳雲の信頼も厚かった。

1985年には陳雲の命を受け、アモイ深圳海南島など経済特区・準経済特区に対して、本来の目的である外貨獲得が達成できていないだけでなく、不正な輸出による外貨流出が止まらないことを指摘し、経済特区の見直しを主張した。7月、中国首脳として21年ぶりにソ連を訪問し、経済、技術協力協定の調印に尽力。8月、社会党の代表団と会見した際に中曽根康弘首相の靖国神社参拝を中国の要人として初めて批判する。この後外交部も続けて批判し、靖国神社参拝は「国際政治問題」化した。9月24日、第12期5中全会において党中央書記処書記を退任するとともに、党中央政治局委員に増補選出された[5]

趙紫陽が総書記に就任した1987年11月2日の第13期1中全会政治局常務委員となる[6]。趙紫陽は姚依林を後任の国務院総理(首相)に推薦したが、年齢面からくる体調を考慮して総理には李鵬が就任し、自身は常務副総理(第一副首相)となった。また、万里田紀雲ら改革派の常務委員入りに、陳雲と共に強く反対している。1989年第二次天安門事件では、李鵬と共に戒厳令施行の支持に回った。

天安門事件以降は保守派の発言力が高まり、経済政策も引き締めが基調となった。1990年9月、第8期五ヵ年計画に期待が集まる中、地方の指導者を集めた会議で発表された最終案が依然として調整基調だったため、葉選平広東省省長や朱鎔基上海市党委書記らから相次いで不満が飛び出した。最終案を作成した姚依林は、鄧小平によって最終案の修正作業から外された。当初10月に開かれる予定だった7中全会は12月に延期され、ようやく再修正案が採択された。

1994年12月11日、死去。

姉の姚錦新中国語版ピアニスト作曲家、国家副主席の王岐山は長女姚明珊の夫にあたる。

脚注

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  1. ^ 日吉秀松「改革開放後の権力闘争について考察」 『政経研究』 第50巻第3号、2014年3月、1095-1096ページ
  2. ^ 中華人民共和国全国人民代表大会公告 (中国語)
  3. ^ 第五届全国人民代表大会常務委員会第九次会議簡況 (中国語)
  4. ^ 第五届全国人民代表大会常務委員会任免人員(1980年8月26日) (中国語)
  5. ^ 第十二届中央委員会第五次全体会議公報(1985年9月24日) (中国語)
  6. ^ 第十三届中央委員会第一次全体会議公報 (中国語)


 中華人民共和国
先代
万里
国務院常務副総理
1988年 - 1993年
次代
朱鎔基
  中国共産党
先代
汪東興
中央弁公庁主任
1978年 - 1982年
次代
胡啓立