如仲天誾
室町時代の禅僧
如仲 天誾(じょちゅう てんぎん、貞治4年/正平20年9月5日(1365年9月20日) - 永享9年2月4日(1437年3月10日))は、室町時代の禅僧。恕仲とも。海野氏の出身[1]。
如仲 天誾 (恕仲 天誾) | |
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貞治4年/正平20年(1365年) - 永享9年(1437年) | |
生地 | 信濃国 |
宗旨 | 曹洞宗 |
宗派 | 曹洞宗総持寺派 |
寺院 | 龍澤寺、大洞院 |
師 | 梅山聞本 |
弟子 | 喜山性讃、真厳道空など |
生涯
編集信濃国に生まれ、9歳で仏門に入る。越前龍澤寺の梅山聞本の許で印可を受けた[2]。
応永年間(1394年 - 1428年)には遠江国に向かい、崇信寺、大洞院、可睡斎などを[1]、近江に洞寿院などを開創する。喜山性讃、真厳道空、物外性応、大輝霊曜、不琢玄珪、石叟円柱といった弟子を輩出し、彼らが開いた寺院[3]の勧請開山にもなった[2]。
永享2年(1430年)、龍澤寺の住持となり、永享9年(1437年)2月4日入寂。
脚注
編集- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus 如仲天誾
- ^ a b “大洞院6派の展開”. 静岡県森町. 2018年10月13日閲覧。
- ^ 洞松寺 (岡山県矢掛町)、洞慶院など
参考文献
編集- 安田元久 編『鎌倉室町人名事典』新人物往来社、1990年、301頁。