奥間大親
奥間 大親(おくま うふや、生没年不詳)は、14世紀(1320年頃)の中世琉球における人物。後に初代中山王となる察度の父親と伝えられる。
概要
編集三国統一以前で初代中山王を名乗る察度の父で、中城村の小さな集落、奥間で生まれ育ち、後に浦添間切の謝名村(現在の宜野湾市真志喜)に移り住む。
天女を妻とした(羽衣伝説)などさまざまな言い伝えがあるが、はっきりとした生い立ちは判明していない。
家族
編集伝説
編集『中山世鑑』には以下の伝説が載っている。
ある夏の夕暮れに奥間大親という貧しい農夫が、森の川を訪れると泉で水浴びしている天女を見つけ、とっさにそこにあった天女の羽衣を隠し、困った天女に「羽衣が見つかるまで私の家にいるといい」と言って家へ連れていき、いつしか二人の間には一男一女が生まれた。ある日、娘が「お母さんの羽衣は、倉の中にある」という子守唄を歌っているのを聞いた天女は、倉から羽衣を見つけ出して身にまとい、天上に舞い上がっていった。大親と子供たちは泣きながら戻ってくるように言うが、天女はやがて雲のかなたへと消えていった。この伝説になぞらえて、宜野湾市海浜公園で毎年8月上旬にはごろも祭りを開催している。
現在
編集森川公園(沖縄県宜野湾市真志喜1丁目24-1)にある西森御嶽の石門裏手にある洞窟に祀られている。また、記念碑の西森記碑もある。交通は那覇空港から約14.8km(約30分)、高速は西原インターチェンジが最寄り。
参考文献
編集- 宮城栄昌『沖縄の歴史』NHKブックス、1975年
- 慶留間知徳『琉球祖先宝鑑』琉球史料研究会、1962年