奈須広成
解説
編集奈須氏(奈須直)は下野国那須郡を本拠とし、陸奥国白河郡でも郡司を務めた豪族である。益国の名が記された木簡は、陸奥国の国府があった多賀城跡で実施された第83次発掘調査で見つかった。場所はゴミ捨て用に掘られたと思われる穴の跡の中である[1]。
その木簡(第417号木簡)は幅広の板で、表には多数の人名が列挙されていたらしいが、墨が薄いせいで大伴部益国の名しか読めなかった。裏には「平神護」「奈須直広成」と見えた[2]。このうち「広成」だけが他の箇所と異なる筆跡で書かれており、部下が書いたものに広成が署名して正式なものにしたと思われる[3]。また、「平神護」は「天平神護二年」と読めそうで、西暦ではおおよそ766年にあたる[2]。
文書の性格は不明だが、広成がかなりの責任ある地位にあったことは間違いない。陸奥国の奈須氏としては、承和15年(848年)に奈須赤竜が白河郡大領だったことが知られるが、広成がいた8世紀から既に郡領クラスの地位にあったと考えられる[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 宮城県多賀城跡調査研究所『多賀城跡木簡』II(宮城県多賀城跡調査研究所資料 III)、2013年。
- 宮城県多賀城跡調査研究所『多賀城跡木簡』II・図版編(宮城県多賀城跡調査研究所資料 III)、2013年。