太子道

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太子道(たいしみち)とは、日本の古代道路街道のうち、聖徳太子が通ったとされ、その通称がつけられたものを指す。

狭義では、飛鳥時代、聖徳太子が斑鳩宮から三宅の原を経て飛鳥小墾田宮を往来した道のことを指す。この道路は、南南東方向へ斜行しており、別名「筋違道」とも呼ばれている[1]。現在の生駒郡斑鳩町の高安付近から東南に延び、磯城郡三宅町の屏風・伴堂を通り、田原本町の矢部付近で南北に走る矢継街道に入り、橿原市八木町から飛鳥川の堤を高市郡明日香村に向かう、というルートであった。中世以降は法隆寺街道と呼ばれ、現在は三宅町を通る区間が同町の町道三宅70号線として活用されている[1]

「太子道」とされる日本の道

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日本国外

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脚注

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