天満宮 (横浜市港北区)
日本の神奈川県横浜市港北区にある神社
天満宮(てんまんぐう)は、神奈川県横浜市港北区高田西にある神社。旧都筑郡高田村の総鎮守で[3]、一般には高田天満宮(たかたてんまんぐう)の通称で知られる。旧社格は村社。
天満宮 | |
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拝殿 | |
所在地 | 神奈川県横浜市港北区高田西3-25-1 |
位置 | 北緯35度33分17.2秒 東経139度37分12.5秒 / 北緯35.554778度 東経139.620139度座標: 北緯35度33分17.2秒 東経139度37分12.5秒 / 北緯35.554778度 東経139.620139度 |
主祭神 | 菅丞相霊[1](菅原道真) |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 1325年(正中2年) |
本殿の様式 | 権現造[2] |
別名 | 高田天満宮 |
例祭 | 10月25日 |
地図 |
祭神
編集由緒・歴史
編集鎌倉時代末期の1325年(正中2年)に創建したと伝えられ、2025年に創建700年を迎える。
社伝によれば、正中2年5月25日、当地の申酉(西北西)の方角から光物が現れてしきりに震動し、夜になっても周辺を昼のように明るく照らした。ようやく当地の山中に鎮まったが、昼夜電光が乱れ飛び、人々は近づくことができなかった。 この時、小蛇が梅の木の下に現れて異香を放ち、正しく観世音菩薩が天神として垂迹したものと思われた。興禅寺(港北区高田町1799)の弁殊法印は「これこそ衆生済度の方便、大慈大悲の誓いなり」と感じ、先達となって榊の枝を小蛇の前に置くと、小蛇は榊の枝の上に留まった。 領主の桃井播磨守直常は、これを近くで見聞きして信心止みがたく、社殿を建立して当地一帯の氏神としたという[1] [2]。
江戸時代の文化・文政期(1804年〜1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には「除地三段。村内興禅寺のつづき南の方にあり。上屋は三間四方、内に小社を置く。拝殿三間に二間、南に向ふ。神体は新旧の二躯を安ず。共に長一尺許り。石の鳥居を立つ。村の惣鎮守にして例祭年々九月二十五日なり」[3]とある。
現在の社殿は江戸時代の初期に領主の旗本・曾根氏が造営したもので、幾度かの大規模な改修を重ねている。元は茅葺きであったが[4]、第二次大戦後に瓦に替え[2]、現在のような姿となった。
境内社
編集祭事・年中行事
編集所在地・交通
編集神奈川県横浜市港北区高田西3-25-1
- 横浜市営地下鉄グリーンライン「高田駅」より徒歩5分
脚注
編集参考文献
編集外部リンク
編集- 天満宮(神奈川県神社庁)