天正日記
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天正日記(てんしょうにっき)は、日本の安土桃山時代にあたる天正年間(1573年 - 1592年[1][注釈 1])について記された、日録形式の複数の史料を指す呼称。
- 徳川家康の家臣・内藤清成が記したとされる記録。天正18年(1590年)の徳川家康の江戸入府前後の状況を記す。明治時代に小宮山綏介によって紹介され、『続々群書類従』に「天正日記」として収録されるとともに、『校註天正日記』として刊行された。ただし、偽書との評価が定説となっている[2]。 ⇒ 天正日記 (内藤清成)
- 奥州伊達家の公的記録。他の「天正日記」と区別するため『伊達天正日記』の名で翻刻・刊行されている[3]。天正15年(1587年)から天正18年(1583年)にかけての伊達政宗とその周辺の動向を載せる[2]。
- 本願寺門主顕如に仕えた右筆宇野主水の記録「鷺森日記」の別称。『宇野主水日記』と総称される記録の一つ。本文は天正10年(1582年)正月から天正11年(1583年)4月までで、その前後の時期についても追記がある。本能寺の変前後の畿内の動向の記述を含む。 ⇒ 宇野主水参照。
- 越後国魚沼神社の神主小川高繁の記録『魚沼神社年中行事記』の通称。天正16年(1588年)に記されたもので、当時の神仏習合の信仰や魚沼地域の民俗を知る史料。小千谷市指定有形文化財[4]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 天正20年12月8日に文禄に改元。この日はグレゴリオ暦では1593年1月10日にあたる。このため和暦と西暦との対照を行う場合、「天正」を1592年までとする場合と、グレゴリオ暦との換算を重視して1593年までとする場合がある。
出典
編集- ^ “天正”. 日本の元号がわかる事典. 2023年5月28日閲覧。
- ^ a b “天正日記”. 日本歴史地名大系. 2023年5月28日閲覧。
- ^ “伊達天正日記 天正十五年”. 岩田書院. 2023年5月29日閲覧。
- ^ “魚沼神社年中行事記(うおぬまじんじゃねんちゅうぎょうじき)”. 小千谷市. 2023年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月28日閲覧。