天晶恵
天晶 恵(あまあき めぐむ、1892年(明治25年)12月22日[1] - 1978年(昭和53年)5月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
編集広島県出身[1][2]。1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校第26期卒業[3]。
1934年(昭和9年)4月、陸軍技術本部仏国駐在官となり、1937年(昭和12年)11月、陸軍砲兵大佐に進む[2]。ついで1938年(昭和13年)3月、陸軍科学研究所所員、1939年(昭和14年)3月、陸軍技術本部部員を経て、1940年(昭和15年)12月、陸軍少将に進級と同時に陸軍技術本部附となり、1941年(昭和16年)6月、陸軍技術本部研究所所員となった[2]。同年9月、陸軍技術本部第1部長に補され、1942年(昭和17年)10月、第2陸軍技術研究所長となり、1944年(昭和19年)6月、陸軍中将に進級した[1][4]。
脚注
編集参考文献
編集- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。