天忍穂別神社
高知県香南市にある神社
天忍穂別神社(あめのおしほわけじんじゃ/あまのおしほわけじんじゃ)は、高知県香南市香我美町山川にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
天忍穂別神社 | |
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参道 | |
所在地 | 高知県香南市香我美町山川字隅ヶ迫(スミガサコ) |
位置 | 北緯33度35分13.1秒 東経133度46分52.4秒 / 北緯33.586972度 東経133.781222度座標: 北緯33度35分13.1秒 東経133度46分52.4秒 / 北緯33.586972度 東経133.781222度 |
主祭神 | 天忍穂耳尊 |
社格等 |
式内社(小) 旧郷社 |
別名 | 石舟神社 |
地図 |
祭神
編集歴史
編集- 創祀年代不詳である。
- 香南市香我美町山川は、律令体制下『和名類聚抄』承平年間(931年 - 938年)編纂によると、香美郡の大忍郷という記載があり、現在の香我美町全域が大忍郷に包含されていたことが窺われる。(高知県香美郡十万遺跡発掘調査報告書)[1]
- 土佐南学の谷秦山(名は重遠)が書いた秦山集 宝永2年(1705年)には、夜須町の北方約二里佘、東川村の山川とあり、巻十四の土佐国式社考に県社としての調査結果の記載がある。
- 棟札には「御石舟社、正和四年乙卯二月日(1315年) 物部末近」と書かれたものと「御石舟社、天正六年戊寅二月二日(1578年) 檀那物部末延萬介尉、神右衛門尉」と書かれたものが二枚現存。
- 近代社格では明治5年の登録時社格は県社であったが、後に郷社[2]になった。
伝承
編集- 香我美町教育委員会解説看板:昔天照大神のお孫様で饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という神様が、石舟に乗り大空を天かり給い、山川のスミガサコの山の峰にお着きになりました。饒速日命は、まず、河内の国のある山にお降りになり、それから大和の国の桃尾山の麓におとどまりになって、やがて父神の天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)を慕って、土佐の国へお着きになりました。土佐へ初めてお降りになったのは、物部川下流の上岡山(野市)で、それから富家村に入られ西川村・長谷の小村・峠の船戸・末延の水船・山川の舟谷を経て、今のスミガサコのお社にお着きになったといいます。舞川の地石は、この神様がお休みになった時舞楽をなされた跡で、長谷の小村には烏帽子(えぼし)をかけられたという烏帽子岩があり、今のお社の南の谷はお冠を取られた所でカットリといいます。北の谷は杖谷といい、命(ミコト)がホコを置かれた所。その側の首珠が佐古は、お首飾を置かれた所といわれます。饒速日命がお乗りになった石舟は、境内の裏手にあり、巨大な自然石の舟型をしております。又付近には、船乗り達が献納した小さな石舟がどっさり置かれています。この小さな多くさんの石舟たちが物語る様に、航海の安全を守る舟神様であると共に疱瘡(ほうそう)様の神様としても知られております。桂井和雄「土佐伝説」より
境内
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社殿
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拝殿
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境内棚機神社
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ヒノキ(香南市指定天然記念物)
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参道の階段
神事
編集- 11月15日に秋祭り
文化財
編集- 史跡
- 天忍穂別神社(石舟神社) - 1978年(昭和53年)4月1日指定。
- 天然記念物
- 石船神社のヒノキ - 2019年(令和元年)7月3日指定。
その他
編集脚注
編集- ^ “詳細検索 - 全国遺跡報告総覧”. sitereports.nabunken.go.jp. 2019年5月10日閲覧。
- ^ “高知県神社明細帳”. 四万十町地名辞典 地名は先人の語り部 「進化する辞典」 「地名の井戸端会議」. 2019年5月10日閲覧。
外部リンク
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