天心聖教
天心聖教(てんしんせいきょう)は、1951年(昭和26年)に立教された神道系新宗教。
設立 | 1951年(昭和26年) |
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設立者 | 島田晴一 |
種類 | 宗教法人 |
本部 | 東京都文京区本駒込6-10-21 |
座標 | 北緯35度43分51.3秒 東経139度44分42.6秒 / 北緯35.730917度 東経139.745167度座標: 北緯35度43分51.3秒 東経139度44分42.6秒 / 北緯35.730917度 東経139.745167度 |
ウェブサイト | http://www.tenshin-seikyo.or.jp/ |
沿革
編集1896年(明治29年)、埼玉県北埼玉郡大越村(現・加須市大越)に、教祖・島田晴一(しまだせいいち)が生まれる[1]。
東京・深川にて商売人として身を立てるが、1920年(大正9年)の物価大暴落や、1923年(大正12年)の関東大震災で苦境に陥り、以降10年以上に渡り貧乏生活を送りながら、米雑穀肥料界でブローカーとして働いていたが、その頃から神示が下るようになる[1]。
1935年(昭和10年)に同業者・佐藤安孝の神懸りを通じて「大豆相場の高騰の予言、誕生日(2月11日)に祭事を行うことの命令」の神示が下り、その予言が当たって大金を手にする[1]。以降、信仰仲間との小規模な集会が繰り返される[1]。
戦時中の郷里・大越への疎開を経て、1948年(昭和23年)に東京・駕籠町(現・文京区本駒込)に転居、翌1949年(昭和24年)に客間に神殿を造り、戦前の信仰仲間も訪ねてくるようになって集会が再会される[1]。そして心身の病気治癒が評判となり、毎月11日の定会に大勢集まるようになる[1]。
1951年(昭和26年)1月、教祖・島田晴一が55歳の時に、「身命をかけて宗教改革に当たる」よう神示が下り、宗教家としての決意を固める[1]。これが立教とされる。
1960年(昭和35年)、竹中工務店に発注した2代目の新聖堂が竣工する。
2006年(平成18年)、竹中工務店に発注した3代目の新聖堂が竣工する[2]。
2017年(平成29年)、竹中工務店に発注した函館礼拝堂が竣工し、2018年度(平成30年度)の日事連建築賞にて、日事連会長賞を受賞する[3][4]。
祭神
編集- 天心大霊神(てんしんおおみかみ)
施設・組織
編集- 聖地
- 聖堂
- 教会
- 礼拝堂
祭事
編集- 毎月
- 感謝祭(毎月1日)
- 例祭(毎月11日)
- 御霊祭(毎月21日)
脚注
編集外部リンク
編集- 天心聖教 - 公式サイト