大阪市電春日出車庫
概要
編集1923年(大正12年)9月に、当時の大阪市西区春日出町(現在の大阪市此花区島屋3丁目)に開設された。
建屋は5棟で構成され、単車で192両収容可能であった。車庫の増築も行われたが、1945年(昭和20年)6月1日にアメリカ軍爆撃機B29による空襲を受けて全焼した。その後しばらくは復旧されずに放棄されていたが、終戦から2年目の1947年(昭和22年)8月にようやく復旧された。
鶴町車庫と同様に海抜の低い低地帯にあったため、度々風水害を受けた。また、車庫の近隣に日本国有鉄道西成線(現在の西日本旅客鉄道桜島線の一部)が通っていたため、他社への譲渡車両の運搬基地となり、さらに余剰となった市電車両の解体場所ともなった。