大阪市交通局1000形電車(おおさかしこうつうきょく1000がたでんしゃ)は、大阪市交通局が製造していた通勤形電車である。製造期間は1953年昭和28年)から1956年昭和31年)。

大阪市交通局1000形電車
1000A形、1955年7月8日撮影(梅田駅
基本情報
製造所 近畿車輛川崎車輌
日本車輌製造
製造年 1953年 - 1954年・1956年
製造数 23両
廃車 1971年
投入先 1号線(御堂筋線
主要諸元
軌間 1,435 mm
電気方式 直流750V(第三軌条方式
車両定員 座席36名・立席84名
車両重量 38.0t
最大寸法
(長・幅・高)
17,700×2,890×3,650mm
車体 普通鋼
台車 FS-12
主電動機 直流直巻式電動機
東芝製SE-178
搭載数 2基 / 両
端子電圧 750V
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 16:66=1:4.125
出力 170kW ×2基 =340kW/両
制御装置 抵抗制御
制動装置 発電制動併用AMA-R式電磁空気制動
発電制動併用HSC式電磁直通空気制動(1012-1024)
水平ハンドルピーコック式手動制動
保安装置 打子式ATS
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概要

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1000形は、製造時期によって大きく車体形状が異なる事から、「1000A形」と「1000B形」の2グループに区別される。

「1000A形」は、市営地下鉄1号線(現・御堂筋線)の4両編成化に備えて、1953年昭和28年)から1954年昭和29年)に19両が製造された。うち、1001 - 1003・1009・1010・1015 - 1017が近畿車輛で、1004 - 1006・1011・1012・1018・1019が川崎車輛で、1007・1008・1013・1014が日本車輌製造でそれぞれ製造された。

「1000B形」は、市営地下鉄3号線(現・四つ橋線)の岸里駅延伸開業に備えて[1]1956年昭和31年)に、1020 - 1023の4両が近畿車輛で製造された。

車体

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「1000A形」は、基本設計は600形と同様であるが、屋根が張上屋根となり、また100形から採用されていた、「安全畳垣」と呼ばれる折りたたみ式の転落防止柵が廃止された。さらに車体の軽量化が図られ、従来車よりも数トン軽くなった。

「1000B形」は、前面に方向幕が採用され、前照灯は2灯化された。また、315号車で試用されたファンデリアが正式採用され、屋根にはダクトが取り付けられた。また車内灯として蛍光灯が初めて採用された。この結果、「1000A形」とは外観が大きく異なるとともに、1100形の原型となるスタイルを確立した。

主要機器

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それまでの車両は、1,500Vへの昇圧と付随車の連結を考慮した設計であったが、1000形ではそれを放棄して設計された。

主電動機

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主電動機は、芝浦製作所製SE-178を吊り掛け式に裝架した。モーターの性能が強化されたこともあって、歯数比が従来の車両の3.05から4.12に変更された。また、設計段階においてはカルダン駆動方式の採用も検討されたが、当形式では見送られた。

制御器

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制御器は、東洋電機製造ES-577電動カム軸式自動加速制御器が採用された。この制御器は力行17段、発電制動15段という構成で、多段制御を採用する事によって乗り心地の改善を図った。

制動装置

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600形まで採用していた、ウェスティングハウス・エアブレーキ社設計のU-5自在弁を使用する三菱造船所製AMU自動空気ブレーキは、性能は優れているものの、保守面で問題があった為、本形式からは、U-5自在弁をA動作弁に変更したAMAR方式を採用する事となった。その結果、600形以前の車両とは連結出来なくなった。

台車

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従来の一体鋳鋼イコライザー台車から、軸ばね式鋳鋼製の住友製鋼所製のFS-12を採用した。

運用

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1000形単独で編成を組んで使用されていた。1957年昭和32年)に1006号車が出火により焼損したが、翌年近畿車輛で復旧工事を行った。この時、「1000B形」に準じた車体で復旧され、車番も1024に改番された。1960年昭和35年)の1号線7両編成化の際、5000形の併結相手に選ばれ、1012 - 1024の14両が、制動装置を5000形に合せてHSC化改造された。

室内灯が蛍光灯ではなかった「1000A形」については、1964年(昭和39年)に蛍光灯化されている。

終焉

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1970年(昭和45年)の日本万国博覧会に向けての1号線輸送力増強の一環として、1号線在籍の旧型車は新造の30系で置き換えられることとなった。この際、比較的車齢の若い1000形については、付随車化の上、1100形1200形の中間車として使用するなどの転用策が検討されたが、結局廃車処分する事となり、1970年(昭和45年)から1971年(昭和46年)にかけて廃車解体された。特に1000B形は製造から14 - 15年で廃車、短命の鉄道車両となってしまった。

脚注

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  1. ^ 当時1号線と3号線の車両は共用であったので、3号線専用車であったわけではない。