大阪ゴルフクラブ
大阪ゴルフクラブ(おおさかゴルフクラブ)は、大阪府泉南郡岬町にあるゴルフ場。関西唯一のシーサイドコースである。
大阪ゴルフクラブ Osaka Golf Club | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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所在地 |
日本 大阪府泉南郡岬町深日31番地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1937年(昭和12年)10月14日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設計 | 上田 治・松山 桂司 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営者 | 南海ゴルフマネジメント株式会社 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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その他 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公式サイト | 大阪ゴルフクラブ |
概要
編集大阪ゴルフクラブは、1937年(昭和12年)、大阪商工経済会の寺田甚吉や「廣野ゴルフ倶楽部」の高畑誠一らの有志が、新たなゴルフ場の建設に向けて経営母体「大阪ゴルフ倶楽部」を設立したことに始まる[1]。ゴルフ場の建設用地は、大阪府泉南郡淡輪村・深日村(現・岬町淡輪・深日)の丘陵地帯を買収した[1]。
1937年(昭和12年)、9ホールの造成工事が着工された。しかし、建設用地が由良要塞に属していたため、松の伐採や写真撮影にも軍の許可が必要だった[1]。翌1938年(昭和13年)、9ホール増設設計も上田治に依頼。上田は1936年(昭和11年)の第11回ベルリンオリンピック競技大会に水泳の審判員として参加し、欧州のゴルフ場を視察し、帰国したばかりだった[1]。7月25日に18ホール完成・全面開場[2]。2日前の7月23日には最寄駅の南海本線南淡輪駅(現・みさき公園駅)も開業した。
1944年(昭和19年)、陸軍がゴルフ場を接収、ゴルフ場は閉鎖された[1]。敗戦後、用地が大阪府、農林省と転々と渡り、再建が遅れた[1]。1952年(昭和27年)、淡輪村議会と深日町議会(1943年町制施行)が再建を決議し、9ホールが復活、翌1953年(昭和28年)、18ホールが復活した[1]。
上田治設計の代表的な8コースで「上田治クラシック会」を結成しており、地域を越えてお互いにゴルフを楽しみ、会員間の親睦交流をはかり、倶楽部運営の活性化の一助としている[3]。「門司ゴルフ倶楽部」(福岡県、1934年(昭和9年)開場)、「大阪ゴルフクラブ」(大阪府、1937年(昭和12年)開場)、「古賀ゴルフ・クラブ」(福岡県、1953年(昭和28年)開場)、「下関ゴルフ倶楽部」(山口県、1956年(昭和31年)開場)、「奈良国際ゴルフ倶楽部」(奈良県、1957年(昭和32年)開場)、「小野ゴルフ倶楽部」(兵庫県、1961年(昭和36年)開場)、「茨城ゴルフ倶楽部」(茨城県、1962年(昭和37年)開場)、「広島カンツリー倶楽部」(広島県、1963年(昭和38年)開場)[3]。
2007年(平成19年)4月に株式会社南海大阪ゴルフクラブが設立され、同年6月より同社が運営するようになった[4]。2015年(平成27年)7月に株式会社南海大阪ゴルフクラブと南海橋本観光開発株式会社(橋本カントリークラブを運営)を吸収合併した南海ゴルフマネジメント株式会社が設立され、以降は同社が運営している[4]。
所在地
編集〒599-0303 大阪府泉南郡岬町深日31番地
コース情報
編集- 開場日 - 1937年10月14日
- 設計者 - 上田 治・松山 桂司
- 面積 - 460,000m2(約13.9万坪)
- コースタイプ - シーサイドコース
- コース - 18ホールズ、パー72、6,402ヤード、コースレート70.4
- フェアウェー - コウライ
- ラフ - ノシバ
- グリーン - 1グリーン、コウライ
- ハザード - バンカー83、池が絡むホール1
- ラウンドスタイル - キャディ・セルフ選択可、乗用カート使用、1組4人が原則、ツーサム可
- 練習場 - 無し
- 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日、8月15日[5]
クラブ情報
編集ギャラリー
編集交通アクセス
編集鉄道
道路
エピソード
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昭和13年、相州熱海の川奈と泉州淡輪だけがシーサイドコースだった」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月24日閲覧
- ^ a b c 「大阪ゴルフクラブ」、コースの歴史、2021年10月24日閲覧
- ^ a b 「下関ゴルフ倶楽部」、上田治クラシック会、2021年3月23日閲覧
- ^ a b 「ハンドブック南海2021年度版」、年譜ほか、南海電気鉄道株式会社総務広報部、2022年2月10日閲覧
- ^ 「大阪ゴルフクラブ」、ゴルフダイジェスト、2021年3月24日閲覧
- ^ [ 「大阪ゴルフクラブ」、ゴルフホットライン、2021年3月24日閲覧]
- ^ a b 「大阪ゴルフクラブ」、交通案内、2021年3月24日閲覧
- ^ 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昭和13年、相州熱海の川奈と泉州淡輪だけがシーサイドコースだった」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月24日閲覧
関連文献
編集- 『月刊ゴルフマネジメント』、「ゴルフ倶楽部を考える(167)農地問題に悩む大阪ゴルフクラブの復活」、井上勝純、東京 一季出版、2000年3月、2021年3月24日閲覧
- 『月刊ゴルフマネジメント』、「ゴルフ倶楽部を考える(168)大阪ゴルフクラブの完全復活」、井上勝純、東京 一季出版、2000年4月、2021年3月24日閲覧
- 『ゴルフ場ガイド 西版』、2006-2007、「大阪ゴルフクラブ」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2021年3月24日閲覧
- 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昭和13年、相州熱海の川奈と泉州淡輪だけがシーサイドコースだった」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月24日閲覧