大間埼灯台
下北半島大間崎沖の弁天島にある灯台
大間埼灯台(おおまさきとうだい)は、本州最北端に当たる下北半島大間崎の沖合にある弁天島に位置し、白と黒のツートンカラーに塗り分けられている中型灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれている。周辺は、下北半島国定公園に指定され、大間崎から灯台と津軽海峡の向こうに、北海道を見渡せる。
大間埼灯台 | |
---|---|
航路標識番号 [国際標識番号] | 1550 [M6634] |
位置 | 北緯41度33分07秒 東経140度54分54秒 / 北緯41.55194度 東経140.91500度座標: 北緯41度33分07秒 東経140度54分54秒 / 北緯41.55194度 東経140.91500度 |
所在地 |
青森県下北郡 大間町大字大間字弁天1 |
塗色・構造 | 黒白横線 塔形 コンクリート造 |
レンズ | 第4等フレネル式 |
灯質 | 群閃白光 毎30秒に3閃光 |
実効光度 | 120,000 cd |
光達距離 | 17海里(約 31 km) |
明弧 | 全度 |
塔高 | 25.4 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 36 m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 | 1921年(大正10年)11月1日 |
管轄 |
海上保安庁 第二管区海上保安本部 |
歴史
編集- 1920年(大正9年)9月:着工
- 1921年(大正10年)11月1日:初点灯、霧笛設置[1]
- 1922年(大正11年)11月11日:霧笛変更[2]
- 1932年(昭和7年)12月15日:無線方位信号所業務開始(無線標識・無線羅針)[3]
- 1945年(昭和20年):第二次世界大戦末期に幾度も空襲されて大破
- 1948年(昭和23年)3月12日:本灯復旧[4]
- 1949年(昭和24年)6月15日:船舶気象通報放送開始、偶数時の12分から14分まで[5]
- 1952年(昭和27年)3月4日:十勝沖地震で壊滅的な被害を受ける
- 1953年(昭和28年)7月:再構築された二代目が完成
- 1989年(平成元年)4月17日:無線方位信号所(レーダービーコン)を導入
- 1991年(平成3年)4月1日:無人化
- 2008年(平成20年)3月31日:無線方位信号所廃止[6][7]
- 2009年(平成21年)3月:霧信号所廃止[8][9]
付属施設
編集周辺情報
編集関連項目
編集出典
編集- ^ 大正10年逓信省告示第1889号(『官報』第2766号、大正10年10月20日、p.455)
- ^ “逓信省告示第2090号. 官報. 1922年11月14日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “逓信省告示第2273/2274号. 官報. 1932年12月14日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “運輸省告示第133号. 官報. 1948年04月26日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月26日閲覧。
- ^ “水路告示第26号. 官報. 1949年07月02日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月25日閲覧。
- ^ 二管区水路通報 第13号 第二管区海上保安本部
- ^ 大間埼無線方位信号所(レーダービーコン)の廃止について、お知らせ 全国海運組合連合会
- ^ 二管区水路通報 第8号 第二管区海上保安本部
- ^ 二管区水路通報 第11号 第二管区海上保安本部
外部リンク
編集- 大間埼灯台 青森海上保安部