大野 季夫(おおの すえお、1898年明治31年〉7月30日[1] - 没年不明)は、昭和時代の内務官僚。拓務官僚。朝鮮総督府官僚。慶尚南道知事。

経歴

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大野淳平の六男として香川県豊田郡姫之江村(豊田郡豊浜町三豊郡豊浜町を経て現観音寺市)に生まれる[1]1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治科を卒業[1]。在学中の1921年(大正10年)に高等試験に合格した[2]。内務省に入り新潟県地方事務官商工水産課長、鹿児島県書記官経済部長、拓務書記官朝鮮部勤務、東亜課長、大臣官房会計拓務局東亜第一各課長、拓務大臣秘書官、大臣官房秘書課長、朝鮮総督府秘書官兼総督府事務官総督官房などを経て、1943年(昭和18年)3月、慶尚南道知事に就任した[1]1945年(昭和20年)3月28日、退任した[2][3]

満洲拓殖公社理事を経て、戦後は公職追放となった[4]。追放解除後は新潟県監査委員長となり、1947年(昭和22年)には川端家具を創立し代表取締役となった[4]

脚注

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参考文献

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