大農(だいのう)は、古代中国で農政をつかさどった官職または官庁である。前漢では大農令の下にある官庁をいい、後漢末からまでは諸侯王の重臣の一人であった。

前漢

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前漢には、景帝中6年(紀元前144年[1]または景帝後元年(紀元前143年[2]大農令という官職がおかれた。大農令を長官にいただく官庁を大農といった。紀元前104年に大農令が大司農と改称され[2]、官庁も大司農と呼ばれるようになったため、なくなった。

後漢末・三国の魏と呉

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後漢末に実権を握った曹操は、魏公に封じられた建安18年(213年)に大農を置いた[3]。中央の大司農に対応する魏国の官職である。黄初元年(220年)10月に後漢に禅譲されたは、同年11月に大農を大司農に改めた[4][3]

三国時代にも大農があった[5]

晋と南北朝

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西晋では、皇帝に仕える大司農に対し、諸侯王に仕える官職として大農を置いた[6]郎中令中尉とあわせて三卿といった[6]

南北朝時代東晋では王・公の国に大農をつけ、侯の国では省いた[7]

続く南斉でも、諸侯王に仕える三卿に大農がいた[8]も同じである[9]

も諸侯王に仕える官職として大農を置いた[10]。大農はつまみが環になった銅印(銅印環鈕)を用い、青い飾り紐()を通した[11]

では、親王国の官職に大農があった。

大農の人物

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脚注

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  1. ^ 『史記』巻11、孝景本紀第11、中6年。ちくま学芸文庫『史記』1の332 - 333頁。
  2. ^ a b 『漢書』巻10上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』86頁。
  3. ^ a b 越智重明「客と部曲」、『史淵』110号、1973年。
  4. ^ 『三国志』巻2、魏書2、文帝曹丕紀第2、黄初元年。
  5. ^ a b 『三国志』巻57、呉書12、虞陸張駱陸吾朱伝第12、虞翻伝。
  6. ^ a b 晋書』巻24、志第14職官。
  7. ^ 『宋書』巻40、志第30、百官下。
  8. ^ 『南斉書』巻16、志第8、百官。
  9. ^ 『隋書』巻26、志第21、百官上。
  10. ^ 『隋書』巻28、志第23、百官下。
  11. ^ 『隋書』巻11、志第6、礼儀6、衣冠1。
  12. ^ 『晋書』巻52、列伝第22、袁甫伝。

参考文献

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