大豐和紙工業
三重県伊勢市の和紙メーカー
(大豊和紙工業から転送)
大豐和紙工業株式会社(たいほうわしこうぎょう)は、三重県伊勢市の和紙(伊勢和紙)メーカー。
種類 | 株式会社 |
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略称 | 大豊、大豊和紙、伊勢和紙 |
本社所在地 |
日本 〒516-0079 三重県伊勢市大世古一丁目10-30 |
設立 | 1899年 |
業種 | パルプ・紙 |
法人番号 | 5190001006774 |
事業内容 | 和紙製造 |
代表者 | 代表取締役 中北喜亮 |
資本金 | 1080万円 |
従業員数 | 21人(連結) |
決算期 | 10月31日 |
主要子会社 | 神都製紙有限会社 |
外部リンク | https://isewashi.co.jp |
概要
編集三重県内唯一の和紙メーカーであり、全国手すき和紙連合会に加盟している[1]。 神宮御用紙を製造し、伊勢神宮の神宮大麻用途をはじめとし、多くの寺社に和紙を提供している。1994年、三重県指定伝統工芸品[2]に認定(伊勢紙として)。社名を『大豊和紙工業』と記載されることがあるが正しくは旧字体の『大豐和紙工業』であり、前者は商業登記上誤りである。
沿革
編集- 1871年(明治4年) 太政官布告による御師制度の廃止に伴い、有志が共同して現在の伊勢市岩淵に製紙工場を設立。
- 1883年(明治16年) 合名会社殖産組を設立し、大麻用紙の一部を奉製。その後伊勢産紙合資会社、五十鈴川製紙株式会社が設立され、3社名義で神宮御用紙の全てを奉製。
- 1899年(明治32年) 神宮御用紙を全量奉製する3社が合併し「神都製紙株式会社」を創立。
- 1900年(明治33年) 御用紙製造工場承認願を大麻局に提出。
- 1911年(明治44年) 工場を拡張。
- 1917年(大正6年) 旧御師龍大夫邸(現在の工場敷地)を取得。翌年から昭和初期にかけて随時工場を増築。
- 1928年(昭和3年) 昭和天皇御即位神宮御親謁に際し御用紙を献上。
- 1938年(昭和13年) 神宮御用紙奉製量増加に伴い、田丸町に宮川抄紙株式会社を新設し工場を設置。
- 1941年(昭和16年) 宮川抄紙株式会社を合併、当社田丸工場とする。
- 1947年(昭和22年) 「大豐和紙工業株式会社」に社名変更。
- 1950年(昭和25年) 田丸工場を売却。跡地は現在の町立玉城病院となる。
- 1956年(昭和31年) 懸垂短網抄紙機を導入。
- 1959年(昭和34年) 伊勢湾台風により工場建物被害を受ける。
- 1961年(昭和36年) 人員不足により生産の効率化を目指す。
- 1966年(昭和41年) 2号抄紙機を設置。
- 1977年(昭和52年) 新設1号抄紙機設置。
- 1982年(昭和57年) 新仕上場が完成。
- 1994年(平成6年) 製造する伊勢紙が三重県指定伝統工芸品に認定。
- 1999年(平成11年) 創立100周年を迎える。
- 2003年(平成15年) 伊勢和紙館・伊勢和紙ギャラリー開業。
製品
編集- 神宮御用紙 (神宮大麻用紙・守り用紙・神宮暦用紙 等)
- 手すき工芸紙 (海藻入り楮紙・杉皮入り楮紙 等)
- インクジェットプリンタ用和紙 画像印刷用和紙として、作品制作などに活用されている。1100mm×2400mmサイズの大判手すき和紙も生産している。
- オリジナル和紙小物 (はがき・びんせん・封筒 等)
製法
編集手漉きによるものと、機械抄紙によるものがある。
- 機械抄き和紙 懸垂短網ヤンキー抄紙機 1基
- 手漉き和紙 3槽
構成
編集大豐和紙工業株式会社
編集- 統括
神都製紙有限会社
編集- 原料叩解部
- 短網抄紙部
- 手漉部
- 加工部
- 検査仕上部
伊勢和紙館
編集- 伊勢まちかど博物館
- 伊勢和紙ショップ
- 手すき和紙体験工房
伊勢和紙ギャラリー
編集その他
編集当社の社地は御師龍大夫邸宅跡であり、山田(外宮)の御師では最大級の規模であったとされる。敷地内には1880年(明治13年)に明治天皇が宇治山田行幸の際に滞在した史蹟がある。
脚注
編集- ^ “全国手すき和紙連合会会員名簿”. 全国手すき和紙連合会. 2016年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月5日閲覧。
- ^ 三重の伝統工芸品