大神宗雄
経歴
編集仁明朝の承和5年(838年)第19次遣唐使に録事として随行。翌承和6年(839年)8月に使節一行は楚州で新羅船9隻を雇って、新羅の南海沿いに帰国するが、宗雄の乗船した第6船がいち早く九州に到着したことから、宗雄は遣唐使節の状況について牒状を作成し、大宰府に報告した[1]。翌承和7年(840年)従五位下に叙爵する。
承和13年(846年)大監物に任ぜられるが、仁明朝末の嘉祥元年(848年)阿波守として地方官に転じる。文徳朝末の天安2年(858年)2月に弾正少弼に任ぜられるが、6月には大監物に再任している。
官歴
編集『六国史』による。
脚注
編集- ^ 『続日本後紀』承和6年8月20日条