大砂土村

日本の埼玉県北足立郡にあった村

大砂土村(おおさとむら)は、かつて埼玉県北足立郡に存在した。現在のさいたま市北区大宮区見沼区の各一部に当たる。

おおさとむら
大砂土村
廃止日 1940年11月3日
廃止理由 新設合併
大宮町三橋村日進村宮原村大砂土村大宮市
現在の自治体 さいたま市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北足立郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,319
国勢調査1940年
隣接自治体 北足立郡大宮町、原市町宮原村片柳村七里村春岡村
大砂土村役場
所在地 埼玉県北足立郡大砂土村大字砂[1]
座標 北緯35度56分07秒 東経139度39分16秒 / 北緯35.93522度 東経139.65442度 / 35.93522; 139.65442 (大砂土村)座標: 北緯35度56分07秒 東経139度39分16秒 / 北緯35.93522度 東経139.65442度 / 35.93522; 139.65442 (大砂土村)
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歴史

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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、大和田村、今羽村、島村、砂村、土呂村、西本郷村、堀崎村の区域をもって成立。大和田村の「大」、砂村の「砂」、土呂村の「土」の3字から採られた。各村は大砂土村の大字となる。町役場は大字に設置する[1]
  • 1940年昭和15年)11月3日 - 北足立郡大宮町日進村三橋村宮原村新設合併し、大宮市が発足[2]。同日大砂土村廃止。同村の大字は大宮市へ継承された。

地区

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大宮市時代は、市内を北足立郡時代の町村毎に数地区に分け、旧町村名で呼称していた(「馬宮地区」、「七里地区」など)が、旧大砂土村は概ね見沼田んぼを境に東西に分割され、西側(概ね旧土呂村・西本郷村・今羽村)を大砂土地区と呼称し、東側(概ね旧大和田村・砂村・堀崎村・島村)を大砂土東地区と呼称していた。1950年代後半から町名地番整理や土地区画整理事業が進められ、行政地名は変遷した。

現在はさいたま市の一部となり、北区今羽町砂町土呂土呂町西本郷本郷町の全域および植竹町盆栽町見沼の各一部、大宮区寿能町堀の内町の各一部、見沼区大和田町島町・砂町・堀崎町の全域および東大宮春岡の各一部となっている。

脚注

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参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 

関連項目

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