大矢 省三(おおや しょうぞう、1893年3月1日 - 1962年1月19日)は、日本の政治家衆議院議員(8期)。

大矢省三
おおや しょうぞう
生年月日 1893年3月1日
出生地 日本の旗 日本 三重県志摩郡
(現志摩市
没年月日 (1962-01-19) 1962年1月19日(68歳没)
死没地 日本の旗 日本 大阪府大阪市 大阪市立桃山病院
出身校 大阪府立西野田職工学校卒業
(現大阪府立西野田工科高等学校
所属政党社会民衆党→)
日本社会党→)
社会党右派→)
(日本社会党→)
民社党
称号 正四位
勲二等旭日重光章
子女 長男・大矢卓史(衆議院議員)

選挙区大阪府第1選挙区→)
旧大阪1区
当選回数 8回
在任期間 1946年4月10日 - 1962年1月19日

選挙区 此花区選挙区
在任期間 1929年 - ?
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経歴

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1893年三重県志摩郡(後の阿児町、現志摩市)生まれ。1912年、大阪府に転居。大阪府立西野田職工学校卒業。

1926年、社会民衆党入党。1929年、大阪市会議員に此花区選挙区から当選[1]。1945年、日本社会党結成に参加

1946年、第22回衆議院議員総選挙大阪府1区初当選。以後連続8期務める。

1948年、芦田内閣労働政務次官。1955年、衆議院地方行政委員長。1960年、民主社会党(後の民社党)結成に参加。1962年1月19日、衆議院議員在任中に大阪府大阪市大阪市立桃山病院において死去、68歳[2]。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙される[3]。翌2月、中山マサによって追悼演説が行われる[2]

役職

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  • 日本社会党中央執行委員
  • 日本社会党代議士会長

家族

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脚注

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  1. ^ 新使命 6(7)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b 第40回国会 衆議院 本会議 第8号 昭和37年2月2日
  3. ^ 『官報』第10524号309-310頁 昭和37年1月22日号
議会
先代
小林絹治
  衆議院地方行政委員長
1955年 - 1957年
次代
門司亮