大沢宿
概要
編集大沢宿は江戸時代に下野国河内郡にあった宿場町で、もともと大沢村と呼ばれていたが元和3年(1617年)に徳川家康の日光鎮座に伴って宿駅となり大沢宿となった[1]。
元和年間には大沢御殿(おおさわごてん)が建造され徳川将軍家の日光参詣に際し宿泊所として使用された。その後一旦処分され再造営されたが、それもまた享保年間までに処分された[1][2]。
享保13年以降、将軍社参時等の休息所には沿道にあった竜造寺(りゅうぞうじ)が用いられた[3]。なお竜造寺はその後明治元年に近隣別所に移転し、現在は境内で5月に咲く六尺藤で著名となっている。
天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、大沢宿の本陣は1軒、脇本陣1軒が設けられ、旅籠が41軒あり、宿内の家数は43軒、人口は278人であった[1]。
設備
編集交通
編集隣の宿場
- 日光街道(道中)