大橋 光吉(おおはし こうきち、1875年明治8年〉8月26日 - 1946年昭和21年〉7月3日)は、日本の実業家共同印刷創業者で、同社初代代表取締役社長や、大日本印刷同業組合連合会会長を務めた。

人物・経歴

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兵庫県出身。森垣治右衛門の四男として生まれ、大橋佐平の婿養子となる[1]。1906年に精美堂を設立し、1925年にはこれを博文館印刷所と合併して共同印刷を設立した[2][3][4]。1935年東京印刷同業組合組長、大日本印刷同業組合連合会会長[5]

親族

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博文館創業者の大橋佐平は養父[3][6]。妻は佐平の三女こう。

長男の大橋松雄は早稲田大学商学部卒業後、共同印刷入社[7]、一時松竹ロビンスのオーナーも務めた。その妻芳江は安田善助の三女[7]。共同印刷第2代社長の大橋芳雄は次男。東京高等工芸学校卒[8]。その妻秀子は子爵戸田忠庸の長女[9]。共同印刷第3代社長の大橋貞雄は三男。東京商科大学卒[10]。二女の静は洋画家藤岡一の妻、三女の喜美子は南江堂創業者小立鉦四郞の長男正彦の妻[8][11]

著作

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  • 福井菊三郎 著、大橋光吉編輯 編『日本陶磁器と其国民性』共同印刷、1927年2月。 NCID BN13607297全国書誌番号:47014002 

参考文献

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出典

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  1. ^ 大橋光吉 『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  2. ^ 「大橋光吉君」 ルーブル社出版部 編「大日本人物名鑑〔巻4の2〕」 (ルーブル社出版部, 1922)
  3. ^ a b 「大橋光吉 (男性)」 日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  4. ^ 「右往左往 五十年の過去」 日本印刷産業連合会
  5. ^ 「共同印刷(株)『共同印刷百年史』(1997.06)」 渋沢社史データベース
  6. ^ 「大橋貞雄氏との別れを800人が惜しむ」 日本印刷新聞
  7. ^ a b 大橋松雄 『人事興信録』 10版(昭和9年) 上卷
  8. ^ a b 大橋光吉 『人事興信録』 10版(昭和9年) 上卷
  9. ^ 大橋芳雄 『人事興信録』 10版(昭和9年) 上卷
  10. ^ 大橋貞雄 『人事興信録』 10版(昭和9年) 上卷
  11. ^ 藤岡一 東京文化財研究所、2019年06月06日

外部リンク

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