大森洪太
日本の司法官僚、判事、検事
大森 洪太(おおもり こうた、1887年(明治20年)6月10日[1] - 1946年(昭和21年)5月24日[2])は、日本の司法官僚、判事、検事。
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経歴
編集三重県阿山郡阿波村(現在の伊賀市)出身[1]。旧制第一高等学校を経て、1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学卒業[1]。同年、司法官試補となり、東京地方裁判所に勤務した[1]。1914年(大正3年)、判事となり、東京地方裁判所判事、同部長を歴任した[1]。その後、東京地方裁判所検事・司法省参事官(民事局勤務)に転じ、第5回国際連盟総会日本代表随員を務めた[1]。帰国後は東京控訴院判事を経て、東京控訴院検事・司法省書記官(刑事局・民事局勤務)となった[1]。1928年(昭和3年)、大審院判事となり、1933年(昭和8年)には司法省民事局長に就任した[1]。さらに名古屋控訴院長、大審院部長を歴任し、1941年(昭和16年)、司法次官に就任した[3]。
著書
編集脚注
編集参考文献
編集- 大日本法曹大観編纂会編『大日本法曹大観』国民社、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上巻』人事興信所、1943年。