大柳生村

日本の奈良県添上郡にあった村

大柳生村(おおやぎゅうそん)[2]奈良県北部、添上郡に属していた。現在は奈良市の東部。

おおやぎゅうそん
大柳生村
廃止日 1957年9月1日
廃止理由 編入合併
田原村大柳生村柳生村東里村狭川村奈良市
現在の自治体 奈良市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 奈良県
添上郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 17.84 km2.
総人口 2,036
国勢調査1955年
隣接自治体 奈良県:奈良市、添上郡田原村狭川村東里村柳生村山辺郡山添村
京都府:相楽郡笠置町
大柳生村役場
所在地 奈良県添上郡大柳生村大字大柳生
座標 北緯34度42分26秒 東経135度55分44秒 / 北緯34.70728度 東経135.92892度 / 34.70728; 135.92892座標: 北緯34度42分26秒 東経135度55分44秒 / 北緯34.70728度 東経135.92892度 / 34.70728; 135.92892
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歴史

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、添上郡 大柳生村、阪原村、大平尾村、忍辱仙村、大慈仙村が合併し添上郡大柳生村が成立。
  • 1957年昭和32年)9月1日 - 田原村、柳生村、東里村、狭川村とともに奈良市へ編入される。同日大柳生村廃止。

地名伝承

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村内山口神社の北隣に「柳の森」と呼ばれる小さな森があり、昔天をつくばかりに大きなの木があり、大柳生の地名もここから生まれた。この柳は弘法大師が杖にしていたのをこの地に挿したのが大きくなったと伝わっていたが、京都三十三間堂が建立される際、棟木に柳を用いることとなり、この柳も求められた。大勢の人を集め運ぼうとしたが全く動かなかったところ、どこからともなく現れた小人が音頭をとると、するすると動き始めたという[3]

学校

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脚注

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  1. ^ 国勢調査 昭和30年国勢調査 人口総数”. 政府統計の総合窓口. 2013年9月21日閲覧。
  2. ^ 昭和30年国勢調査 市区郡町村別人口の表記「Oyagyu-son」による[1]
  3. ^ 『弘法大師伝説集』 第3巻、国書刊行会、1976年、140頁。全国書誌番号:74012619 

関連項目

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