大林芳郎
大林 芳郎(おおばやし よしろう、1918年4月17日 – 2003年7月19日)は、日本の経営者。総合建設会社・大林組の第3代社長。大林道路社長・会長。内外テクノス社長。大林不動産社長。大林組二代目社長で母方叔父の大林義雄の養子。全国建設業協会(全建)会長も務めた。
来歴・人物
編集大阪府出身。大林組創業者大林芳五郎の長女ふさとその入り婿・賢四郎の二男[1]。
1941年、東京帝国大学工学部建築学科を卒業し、大林組に入社。翌1942年に徴兵された。1943年11月、第2代社長の大林義雄(芳五郎の長男でふさの弟)の急死に伴い3代目社長に就任。以後45年余りにわたって社長職を務めた。1987年には会長職を兼任したが、1988年に4代目社長に津室隆夫を据え、会長職に専任[1]。
1993年、仙台市が発注した公共工事を巡り、市長に賄賂を贈ったことが発覚。彼を含む当時の役員10名を被告として、損害賠償を求める株主代表訴訟を起こされた(1999年に和解)。
2003年2月17日、大阪商工会議所(大商)の都市再生委員会副委員長に就任。6月、高齢を理由として二男の剛郎に会長職を譲り、名誉会長に就任。7月19日、腎不全で死去。85歳。
家族
編集略歴
編集邸宅
編集栄典
編集- 毎日工業技術賞(1965年)
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