大村福吉

平安時代初期の官人・医師

大村 福吉(おおむら の ふくよし、生没年不詳)は、平安時代初期の官人医師。名は福善とも記される。氏姓大村直のち紀宿禰丹波介・大村人嗣の子。官位従五位下造兵正

出自

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大村直(大村直)は天道根命の6世の孫である君積命の後裔で、紀氏(紀直)の同族にあたる神別氏族だが[1]、『続日本後紀』では福吉を武内宿禰の支族としている[2]

経歴

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仁明朝で右近衛医師を務める。瘡(皮膚病)を治療する技術に優れ、当時の他の医師の追随を許さなかった。仁明天皇に寵愛され、居宅を与えられるほどであった。また、天皇から命令を受けて、口授されてきた秘伝により『治瘡記』を撰述した[2]。これは日本最古の外科治療書と目されるが、散逸して現在にその内容は伝わらない[3]

承和2年(835年)正月に従五位下に叙せられる。同年10月に同族の者とともにあわせて5人が大村直から紀宿禰改姓している。のち、仁明朝において美作掾造兵正を歴任した。

官歴

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続日本後紀』による。

系譜

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  • 父:大村人嗣[4]
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:紀鹿主[4]
    • 男子:紀氏主[4]

脚注

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  1. ^ 『新撰姓氏録』右京神別下
  2. ^ a b 『続日本後紀』承和2年10月4日条
  3. ^ 『朝日日本歴史人物事典』
  4. ^ a b c 鈴木真年『百家系図稿』巻1,大村

参考文献

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