大戸崎祐慈朗
大戸崎 祐慈朗(おおとざき ゆうじろう、1929年4月24日 - 1993年3月13日[1])は、秋田県秋田市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は棚谷 勇治。168cm、74kg。最高位は西十両2枚目。得意技は右四つ、投げ。
経歴
編集1949年5月場所で初土俵。新序で好成績を挙げ、序ノ口を飛び越えて序二段で12勝3敗の好成績でいきなり序二段優勝、その後も順調に番付を上げ、1953年9月場所で十両に昇進。1956年9月場所は自己最高位となる十両2枚目まで番付を上げるなど一時期は十両上位で定着し入幕も期待されたが、胃腸疾患で途中休場した1958年11月場所限りで廃業した。
主な成績
編集- 通算成績:274勝261敗8休1分 勝率.512
- 十両成績:167勝184敗8休1分 勝率.476
- 現役在位:38場所
- 十両在位:24場所
- 各段優勝
- 序二段優勝:1回(1949年10月場所)
場所別成績
編集一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1949年 (昭和24年) |
x | x | 新序 3–0 |
x | 東序二段11枚目 優勝 12–3 |
x |
1950年 (昭和25年) |
東三段目18枚目 9–6 |
x | 東三段目6枚目 10–5 |
x | 西幕下20枚目 8–7 |
x |
1951年 (昭和26年) |
西幕下17枚目 7–8 |
x | 西幕下18枚目 8–7 |
x | 東幕下13枚目 6–9 |
x |
1952年 (昭和27年) |
東幕下17枚目 11–4 |
x | 東幕下8枚目 7–8 |
x | 西幕下9枚目 8–7 |
x |
1953年 (昭和28年) |
東幕下7枚目 8–7 |
東幕下5枚目 5–3 |
東幕下3枚目 5–3 |
x | 西十両20枚目 8–7 |
x |
1954年 (昭和29年) |
東十両20枚目 11–4 |
西十両6枚目 6–9 |
東十両10枚目 8–7 |
x | 東十両9枚目 6–9 |
x |
1955年 (昭和30年) |
西十両12枚目 8–7 |
東十両11枚目 5–10 |
東十両15枚目 6–9 |
x | 東十両18枚目 8–7 |
x |
1956年 (昭和31年) |
西十両16枚目 10–5 |
西十両8枚目 8–7 |
東十両7枚目 9–6 |
x | 西十両2枚目 6–9 |
x |
1957年 (昭和32年) |
西十両5枚目 8–7 |
東十両4枚目 6–8 1引分 |
東十両7枚目 4–11 |
x | 東十両14枚目 8–7 |
西十両11枚目 8–7 |
1958年 (昭和33年) |
東十両11枚目 6–9 |
東十両15枚目 7–8 |
東十両16枚目 7–8 |
西十両17枚目 7–8 |
東十両18枚目 6–9 |
西十両24枚目 引退 1–6–8[2] |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
編集- 羽後湊 勇治(うごみなと ゆうじ)1949年5月場所 - 1951年9月場所
- 大土崎 勇治郎(おおとざき ゆうじろう)1952年1月場所 - 1955年5月場所
- 大戸崎 祐慈朗(おおとざき ゆうじろう)1955年9月場所 - 1958年11月場所
参考文献
編集- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
編集- ^ 大戸崎 祐慈朗(相撲人名鑑)
- ^ 胃腸疾患により7日目から途中休場
関連項目
編集外部リンク
編集- 大戸崎 祐慈朗 - 相撲レファレンス