大慈院聖紹
日本の室町時代の尼、足利義満の娘
大慈院 聖紹(だいじいん せいしょう、応永3年(1396年) - 享徳2年7月26日(1453年8月30日))は、室町時代前期から中期にかけての女性、尼僧。室町幕府第3代将軍・足利義満の娘。同第4代将軍・足利義持や同第6代将軍・足利義教らの異母妹。
生涯
編集父は足利義満。母は側室の藤原量子か宇治殿とされる[1]。字は宗山といい、若年時は柳殿と呼ばれた[1]。応永28年(1421年)に異母兄の足利義持やその正室の日野栄子、そして足利義量の訪問を受けている。また、応永35年(1428年)1月の義持の葬儀にも列席していたようである。後に聖久の跡を受けて大慈院主となった[1]。享徳2年(1453年)7月26日に死去。享年58[1]。
柳殿とは、後光厳天皇の皇女・治子内親王が出家して住んだ御所の事である。その没後は後円融天皇の皇女の珪子内親王が継ぎ、両者とも柳殿と称された。聖紹はこの御所を継いだものと推測されている[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 臼井信義『足利義満』(新装)吉川弘文館〈人物叢書〉、1989年。ISBN 4-642-05150-3。
- 伊藤喜良『足利義持』吉川弘文館〈人物叢書〉、2008年。ISBN 978-4-642-05246-7。