大庄村 (兵庫県)

日本の兵庫県武庫郡にあった村

大庄村(おおしょうむら)は、かつて兵庫県武庫郡に所属していた村。現在の尼崎市南西部(大庄地区)にあたる。

おおしょうむら
大庄村
旧大庄村役場 (現尼崎市大庄南生涯学習プラザ)
旧大庄村役場
(現尼崎市大庄南生涯学習プラザ)
廃止日 1942年2月11日
廃止理由 編入合併
武庫郡大庄村武庫村川辺郡立花村尼崎市
現在の自治体 尼崎市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
武庫郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 48,200
(1942年(昭和17年))
隣接自治体 尼崎市武庫郡鳴尾村武庫村川辺郡立花村
大庄村役場
所在地 兵庫県武庫郡大庄村西字口ノ開
座標 北緯34度43分24秒 東経135度23分24秒 / 北緯34.72328度 東経135.38994度 / 34.72328; 135.38994 (大庄村)座標: 北緯34度43分24秒 東経135度23分24秒 / 北緯34.72328度 東経135.38994度 / 34.72328; 135.38994 (大庄村)
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歴史

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  • 江戸時代 - 尼崎藩領に含まれ、今北、西大島、東大島、浜田、東新田、西新田、道意新田、中浜新田、又兵衛新田の9村に分かれていた。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制が施行され、上記の西新田組戸長役場管轄区域の9村を村域として、大庄村が成立する。「大庄」の村名の由来は、この地域が「大島の庄」と呼ばれていたことによる。村役場は、旧戸長役場(西新田村)に置かれ、人口は、3,370人であった。
  • 1905年(明治38年)4月12日 - 阪神電気鉄道が開業し、大庄村内に武庫川停留所(現・武庫川駅)、蓬川停留所が開設される。
  • 1910年(明治43年) - 日本リーバ・ブラザース石鹸工場が建設される。
  • 1917年大正6年) - 乾鉄線の工場が建設される[1]
  • 1927年(昭和2年) - 阪神国道が開通し、同国道上に阪神国道電軌が開業する。阪神国道電軌は翌年、親会社の阪神電気鉄道に合併され国道線となる。
  • 1930年(昭和5年) - 尼崎築港会社が、村南部の地先に大規模な臨海工業地の埋立事業を開始した。
  • 1932年(昭和7年) - 尼宝自動車専用道路(現・兵庫県道42号尼崎宝塚線)が開通する。
  • 1933年(昭和8年) - 関西共同火力発電会社が建設を進めていた火力発電所の1号機が運転を開始。総発電計画量は30万kwで、当時の阪神三大都市の電力需要を賄い、近県にも送電が可能な規模であった[2]
  • 1934年(昭和9年) - 室戸台風の直撃を受け、甚大な被害を受ける。特に丸島、又兵衛新田、大浜新田は全集落の家屋が流出する大きな被害を出した[3]。死者99人、負傷者164人、流出家屋171戸、全壊家屋11戸、半壊家屋49戸、床上浸水571戸、床下浸水1,136戸に及んだ(当時の総戸数は3475戸)。
  • 1937年(昭和12年) - 西字口ノ開(現大庄西町3丁目)に新村役場(現・大庄南生涯学習プラザ)が竣工。1932年(昭和7年)に村役場用地は買収が済み、1933年(昭和8年)には設計が進行していたが、室戸台風の被害により、中断。建築家の村野藤吾1891年 - 1984年)に設計を依頼。鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階の当時としては最先端の庁舎であった。その背景には、昭和10年代の大庄村が、災害復興事業の推進と同時に、臨海部の工業化につれて、急速な都市化を果たし、数年間で人口が倍増を繰り返し、毎年、大幅な歳入超過を記録し、「日本一の大村」と称されていた状況があった。それでも、村役場の建設費は、当時の村の年間歳出額の半分に相当する16万円であった。
  • 1939年(昭和14年)10月 - 大庄村および武庫村が、西宮警察署管区から尼崎警察署管区に異動することとなる。この件を契機に大尼崎構想に基づく、大庄村・武庫村・川辺郡立花村の尼崎市への合併が取り沙汰されるようになった[1]
  • 1942年(昭和17年)2月11日 - 隣接する武庫村、立花村と共に尼崎市へ編入され消滅[4]1924年(大正13年)に尼崎市が「尼崎市計画区域」を決定し、周辺の小田村、大庄村、立花村、武庫村、園田村の5村との連携強化、1市5村による単一都市圏整備の必要性を説く。大庄村では、先年より武庫川対岸の鳴尾村などとの合併を構想する反対派と、尼崎市との合併を推進する派との対立が続いていた。前年に合併推進派の平瀬巌若が村長に就任し、合併が決定される。なお、反対派の合併構想では、「武庫川市」という新市名が公表されていた。当時の大庄村の人口は、4万8,200人[5]

行政

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村長
  • 野草平八郎[6]
  • 橋本治作[6]
  • 織部善吉[6]
  • 矢野武一[6]

経済

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農業

農産物は、米、麦其の大部分を占め、又甘藷をはじめ大豆、葡萄等種々ある[6]。『大日本篤農家名鑑』によれば大庄村の篤農家は、「小川龍碩、橋本治作、織部善吉」などである[7]

脚注

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  1. ^ a b 『尼崎地域史事典』尼崎市立地域研究史料館編(尼崎市、1996年)pp.89
  2. ^ 尼崎港に東陽市の大火力発電所『大阪毎日新聞』昭和8年12月1日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p603 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  3. ^ 高潮の阪神沿道で三百人行方不明『大阪毎日新聞』昭和9年9月22日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p229)
  4. ^ Web版 図解 尼崎市の歴史 近代編第4節 十五年戦争下の尼崎4 都市化の進展と「大尼崎」 尼崎市立地域研究史料館
  5. ^ 『都市公論』1940.6(『尼崎地域史事典』pp.396)
  6. ^ a b c d e 『伝家之宝典 自治団体之沿革 兵庫県之部』篠田皇民 著、東京都民新聞社地方自治調査会、1932年、pp233-234(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年6月30日閲覧。
  7. ^ 『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年、p124(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年6月30日閲覧。

関連項目

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