大山 幸太郎(おおやま こうたろう、1873年6月8日 - 1967年7月28日[1])は、日本の教育者、哲学者。
秋田県弁天村(現在の湯沢市)出身[1]。1895年に秋田県尋常師範学校を卒業し、横堀尋常高等小学校を訓導した[2]。横堀小学校時代に全国初の父兄会を開いている[1]。その後上京し、巣鴨の東福寺で4年間独学し、この間に新井奥邃と出逢った[1]。
1914年から文部省に勤務し[注釈 1]、1915年からドイツに9年間留学した[1][注釈 2]。
帰国後に母校の秋田師範学校で哲学を講義した[1][2]。
「真人」の語を造り、没後に教え子たちにより真人学会が結成された[1]。