大塚経長
吉川氏の一門
大塚 経長(おおつか つねなが)は、戦国時代の武将。安芸国国人・吉川氏の一門で、12代当主・吉川国経の次男。
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 永正15年8月30日(1518年10月4日) |
別名 | 吉川経長 |
戒名 | 白泉皆夢[1] |
官位 | 大蔵大輔[1] |
主君 | 吉川元経 |
氏族 | 藤原南家工藤流吉川氏庶流大塚氏 |
父母 | 父:吉川国経 |
兄弟 |
吉川元経、経長、吉川経世、 女(福屋隆兼室)、妙玖(毛利元就正室) |
子 | 女(宮庄基友室)[2] |
生涯
編集永正15年(1518年)8月30日、吉川氏の兵を率いて毛利元就と共に備後国世羅郡赤屋[注釈 1]へ出陣したが、この時の戦いで経長は戦死した。
この時の赤屋の領主が誰で、何故毛利氏と吉川氏が赤屋を攻めたかは史料がなく不明であるが、毛利氏においても粟屋元親の名代である長八郎左衛門が戦死し、粟屋元秀や保垣刑部左衛門が負傷するなど、激しい合戦であったことが窺われる(赤屋・小国の合戦)[3]。
経長の子孫は、その後吉川氏を相続した吉川元春やその子の吉川広家に仕え、江戸時代には岩国領主・吉川家家臣の大塚家となる[1]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 40.
- ^ 大朝町史 上巻 1978, p. 182.
- ^ 毛利元就卿伝 1984, p. 68.
参考文献
編集- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。 国立国会図書館デジタルコレクション
- 大朝町史編纂委員 編『大朝町史 上巻』1978年3月。全国書誌番号:81001285。 国立国会図書館デジタルコレクション
- 三卿伝編纂所編、渡辺世祐監修『毛利元就卿伝』マツノ書店、1984年11月。