大城幸之一
大城 幸之一(おおしろ こうのいち[1] / おおぐすく こうのいち[2]、1879年(明治12年)8月15日[2] - 1932年(昭和7年)11月2日[1])は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲民政党)。医師。
経歴
編集沖縄県島尻郡玉城村(現在の南城市)出身[2]。沖縄県病院附属医生教習所に入学し、在学中に医術開業試験試験に合格した[2]。1900年(明治33年)に教習所を卒業し、県病院に勤務した[2]。翌年には郷里に医院を開業し[2]、後に沖縄県医師会代議員、島尻郡医師会副会長を務めた[1]。1909年(明治42年)に玉城村会議員に選ばれ[2]、さらに沖縄県会議員、同議長に選ばれた[1]。
1925年(大正14年)、衆議院補欠選挙で当選を果たした[3]。
その他、玉城村中部信用販売購買組合長、奥武漁業組合長を務めた[1]。
著書
編集- 『医学上より見たる酒害』(1923年、沖縄廃酒期成会)
脚注
編集参考文献
編集- 楢原友満編『沖縄県人事録』沖縄県人事録編纂所、1916年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。