大國神社 (盛岡市)
大國神社(だいこくじんじゃ)は岩手県盛岡市に鎮座する神社である。
大國神社 | |
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所在地 | 岩手県盛岡市津志田中央一丁目1-17 |
位置 | 北緯39度39分45.2秒 東経141度09分34.3秒 / 北緯39.662556度 東経141.159528度座標: 北緯39度39分45.2秒 東経141度09分34.3秒 / 北緯39.662556度 東経141.159528度 |
主祭神 | 大穴牟遅之命 |
創建 | 文化7年(1810年) |
例祭 | 9月9日 |
地図 |
歴史
編集文化7年(西暦1810年)、第10代盛岡藩主・南部 利敬(としたか)により、津志田町の総鎮守『大國堂』として創建された。 本殿の『大國大明神』額は、利敬の書と伝わっている。 境内には桃桜が植えられ、池や藤棚がつくられた。 当時の祭礼日は4月8日・9日であり、両日とも高く仮屋が設けられ、長唄・常盤津節で踊りに興じ、参詣・見物の人々が大いに集まったといわれている。
利敬は文事に造詣が深く、俳人・小野 素郷(そきょう)を別当(神主)として迎えた。 利敬公をはじめとする多くの文人が素郷を訪ねて集まったといい、当時の津志田は文芸の中心地であった。 桃の木が多く植えられたことから、神社は『桃の宮』とも呼ばれていたそうである。 明治期の歴史家・新渡戸仙岳は、中国の桃源郷『武陵桃源』に対して津志田を『杜陵桃源』と称している(この故事にちなんで、神社の朱印には桃色の「杜陵桃源」スタンプが押されている)。
『桃町』と呼ばれた津志田町には、遊郭が城下から移され、昼夜を問わず繁盛し、酒・小間物・ろうそく・油・肴・青物などの店も立ち並び、隆盛をみた。 神社には、遊女や楼主の納めた諸願成就祈願の絵画献額(絵馬)や、当社別当であり奥州俳諧四天王のひとりであった小野素郷筆の『俳諧之発句』などが奉納されている。 この内、絵画献額12枚および俳句献額3面が、遊郭で賑わった当時の面影を残す貴重な歴史資料として、昭和48年7月20日に指定有形文化財に登録された。 絵画献額のほとんどは板画に極彩色を豊かに描かれており、当時の雰囲気をよく伝えている。 また、境内には祭具、手水鉢、石灯籠などの貴重な史料も数多く残っている。
この後、遊郭が無くなってからは、修験大法院により祭祀が継続されたと伝えられている。 昭和58年4月26日に岩手県神社庁から三級社と認定された。
時代を経て移りゆく津志田を200年以上に渡って見守り続けてきた神社である。
文化財
編集- 盛岡市指定有形文化財
- 大国神社献額 15面(1973年7月20日指定)[1]
境内
編集脚注
編集出典
編集外部リンク
編集- 大國神社ホームページ
- 大國神社(盛岡市津志田) 岩手県神道青年会