大内村 (宮城県)
日本の宮城県伊具郡にあった村
大内村(おおうちむら)は、昭和29年(1954年)まで宮城県伊具郡の阿武隈川東岸にあった村。現在の丸森町大内にあたる。
おおうちむら 大内村 | |
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廃止日 | 1954年12月1日 |
廃止理由 |
新設合併 大内村、丸森町、金山町、大張村、耕野村、小斎村、舘矢間村、筆甫村 → 丸森町 |
現在の自治体 | 丸森町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 伊具郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 67.25 km2 |
総人口 |
6,110人 (『宮城県町村合併誌』、1954年11月30日) |
隣接自治体 |
宮城県: 伊具郡:角田町、小斎村、金山町、丸森町、筆甫村 亘理郡:坂元村 福島県: 相馬市 相馬郡:新地村 |
大内村役場 | |
所在地 | 宮城県伊具郡大内村 |
座標 | 北緯37度52分07秒 東経140度49分35秒 / 北緯37.86853度 東経140.82644度座標: 北緯37度52分07秒 東経140度49分35秒 / 北緯37.86853度 東経140.82644度 |
ウィキプロジェクト |
沿革
編集行政
編集歴代村長
編集代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 菊地宗治 | 明治22年(1889年)4月 | 明治30年(1897年)4月 | |
2 | 横山宗治 | 明治30年(1897年)5月 | 明治34年(1901年)5月 | |
3 | 菊地慶馬 | 明治34年(1901年)5月 | 明治38年(1905年)5月 | |
4 | 横山宗治 | 明治38年(1905年)5月 | 大正2年(1923年)5月 | 再任 |
5 | 菊地慶馬 | 大正2年(1923年)5月10日 | 大正9年(1920年)3月31日 | 再任 |
6 | 阿部侃兵衛 | 大正9年(1920年)12月28日 | 大正13年(1924年)12月27日 | |
7 | 高橋直吉 | 大正14年(1925年)2月25日 | 昭和4年(1929年)2月24日 | |
8 | 笠間定作 | 昭和4年(1929年)2月25日 | 昭和8年(1933年)2月24日 | |
9 | 高橋直吉 | 昭和8年(1933年)2月25日 | 昭和11年(1936年)8月7日 | 再任 |
10 | 佐藤舛之丞 | 昭和11年(1936年)8月19日 | 昭和15年(1940年)8月18日 | |
11 | 石田専之助 | 昭和15年(1940年)8月19日 | 昭和16年(1941年)12月15日 | |
12 | 霜山守治 | 昭和16年(1941年)12月17日 | 昭和21年(1946年)8月3日 | |
13 | 水沼良兵衛 | 昭和21年(1946年)8月13日 | 昭和21年(1946年)11月20日 | |
14 | 目黒武雄 | 昭和22年(1947年)4月6日 | 昭和29年(1954年)11月30日 |
防災
編集- 大内村消防団
- (組織体制)4分団14班で構成。
- (団員数)200名
- (装備)当時の装備は動力消防ポンプ1台、手押し腕用消防ポンプ13台であった。
教育
編集- 大内村立大内小学校
- 大内村立大内小学校青葉分校
- 大内村立大内小学校伊手分校
- 大内村立大内小学校黒佐野分校
- 大内村立大内中学校
参考文献
編集- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)
- 『丸森町史』(宮城県伊具郡丸森町、1984)