大倉直介
大倉 直介(おおくら なおすけ、1884年(明治17年)9月4日[1][2] - 1953年(昭和28年)[要出典])は、明治末から昭和期の建築技術者、実業家。大倉火災海上保険社長などを務めた。
経歴
編集東京府麻布区麻布市兵衛町(現東京都港区)で[1]、旧新発田藩主・溝口直正の次男として生まれた[2]。1910年7月、東京帝国大学工科大学建築学科を卒業し[1][3]、陸軍技師となる[1]。1914年3月に退官した[1]。
1914年、同郷の実業家・大倉喜八郎の妹みちの養子となり[3]大倉に改姓[4]。1915年、大倉組に入り会計部で勤務[1]。1919年、大倉組ロンドン支店に異動[1]。1922年、大倉商事保険部長に就任し、1926年、同監査役、1928年、大倉火災海上保険常務取締役を経て、1935年、同社長となり1943年頃まで在任[1]。その他、昭和化工(株)取締役[1]、同監査役[1]、日本自動車取締役[3]なども務めた。
註釈
編集参考文献
編集- 『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。[2]
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 堀勇良『日本近代建築人名総覧』中央公論新社、2021年。