大住車塚古墳

京都府京田辺市にある前方後方墳

大住車塚古墳(おおすみくるまづかこふん、智光寺山古墳)は、 京都府京田辺市大住八王寺にある古墳。形状は前方後方墳。国の史跡に指定されている(史跡「綴喜古墳群」のうち)。

大住車塚古墳
所在地 京都府京田辺市大住八王寺
位置 北緯34度50分17.7秒 東経135度44分38.9秒 / 北緯34.838250度 東経135.744139度 / 34.838250; 135.744139
形状 前方後方墳
規模 全長:66メートル(前方部:幅18メートル・高さ1.5メートル、後方部:一辺の長さ36メートル・高さ4.5メートル)
築造時期 5世紀初期(古墳時代中期)
史跡 国の史跡「大住車塚古墳」
(「綴喜古墳群」に包含)
地図
大住車塚古墳の位置(京都府内)
大住車塚古墳
大住車塚古墳
京都府内の位置
地図
テンプレートを表示

概要

編集

5世紀初期(古墳時代中期)に作られた前方後方墳である[1]。2段築成で、葺石埴輪を備えている[2]長方形の周濠が存在していたと考えられており、主体部(埋葬施設)には、粘土槨あるいは竪穴式石室があったとみられる。西には形や大きさが同じ大住南塚古墳もあるため、周濠のある前方後方墳が2基並んで存在していることになり、これは全国的にも珍しい[1]

継体天皇の第8皇子の陵であるとする説が存在するが、これは「椿井文書」を由来とする偽りの伝承であると考えられている[3]

文化財

編集

国の史跡

編集
  • 大住車塚古墳(史跡「綴喜古墳群」のうち)
    • 1974年(昭和49年)6月11日、「大住車塚古墳」として国の史跡に指定[4][5]
    • 2022年(令和4年)11月10日、既指定の史跡「大住車塚古墳」に八幡西車塚古墳・天理山古墳群・飯岡車塚古墳を追加指定して、指定名称を「綴喜古墳群」に変更[6]

交通アクセス

編集

脚注

編集
  1. ^ a b 大住車塚古墳 | 遺跡 | 京たなべ まるごと検索! | 京田辺市観光協会 公式サイト”. kyotana.be. 2020年12月8日閲覧。
  2. ^ 大住車塚古墳 - 古墳マップ”. kofun.info. 2020年12月8日閲覧。
  3. ^ 『筒城宮遷都1500年記念シンポジウム資料集』(京田辺市教育委員会 、2011年)
  4. ^ 大住車塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  5. ^ 指定文化財一覧(京田辺市)
  6. ^ 令和4年11月10日文部科学省告示第143号。
  7. ^ 大住車塚古墳|観光スポット|お茶の京都|京都府南部の観光情報サイト(お茶の京都DMO)”. お茶の京都|京都府南部の観光情報サイト(お茶の京都DMO). 2020年12月8日閲覧。

外部リンク

編集

座標: 北緯34度50分17.7秒 東経135度44分38.9秒 / 北緯34.838250度 東経135.744139度 / 34.838250; 135.744139