大伴 磐(おおとも の いわ)は、飛鳥時代の豪族。大連・大伴金村の子。
宣化天皇2年(537年)朝鮮半島において新羅が任那を侵攻したため、宣化天皇の命をうけた父・金村は子息の磐と狭手彦とを任那救援のために派遣する。この時、磐は筑紫国に留まって、その国政を掌り、三韓(高句麗・百済・新羅)に対して防備を固めた。一方の狭手彦は渡海して任那を鎮め、百済を助けた[1]。
継体朝において甲斐国山梨郡山前邑に移住し、子孫は大伴山前氏(大伴山前連)となったとする系図がある[2]。