大伴 和武多麻呂(おおとも の わむたまろ)は、平安時代初期の貴族。参議・大伴潔足の子とする系図がある。官位は従五位上・左近衛少将。
平城朝にて従五位下・左近衛少将に叙任される。大同4年(809年)従五位上に昇叙され、常陸権介を兼ねる。
大同5年(810年)薬子の変が発生すると、武蔵権介次いで日向権守に左遷された。
先祖伝来の射礼の作法を良く伝えていた。同じく射礼の作法を受け継いでいた紀興道と並び称されたという[1]。
『日本後紀』による。