大井信業
戦国時代の武将
大井 信業(おおい のぶなり)は、戦国時代の武将。甲斐国の国衆。武田信玄の母・大井の方の実兄にあたる。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 享禄4年2月2日(1531年2月18日) |
改名 | 次郎(幼名)[1]→信業 |
別名 | 次郎左衛門尉、左衛門督 |
戒名 | 鶏天宗快 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 武田信虎 |
氏族 | 大井氏 |
父母 | 父:大井信達、母:不詳 |
兄弟 | 大井の方、信業、信常、武藤信堯、虎昌、虎成、武藤常昭、今井信元室、小山田信有室 |
妻 | 正室:瀬名一秀の娘 |
子 | 信為、今井信良室 |
生涯
編集大井信達の長男として生まれる。父の信達は駿河国の今川氏と結び甲斐守護・武田信虎と敵対していたが、永正14年(1517年)に信達は信虎と和睦すると、娘の大井夫人が信虎へ嫁いだ[2]。『王代記』によれば、永正17年(1520年)には大井氏は逸見氏や栗原氏らの甲斐国人とともに信虎に反抗し、6月10日には敗退し、再び信虎と和睦した[2]。信達はその後出家・隠居し、信業は家督を譲られて当主になったと考えられている[3]。
「守矢家文書」によれば、年次は不詳であるが諏訪大社上社に「松井鹿毛」と呼ばれる名馬と具足を奉納しており、この時に「左衛門督」を名乗っている[1]。
『一蓮寺過去帳』によれば、享禄4年(1531年)2月2日に病死する[1][4]。『一蓮寺過去帳』『武田源氏一統系図』では法名は弥阿弥陀仏[1]。『平塩寺過去帳』では「左衛門督信業」と記載される[1]。