大久保 忠董(おおくぼ ただしげ、生没年不詳)は、江戸時代末期(幕末)の旗本。官位は従五位下土佐守。通称は喜右衛門。大久保忠興の子。
万延元年(1860年)閏3月22日より先手火付盗賊改加役となる。文久元年(1861年)11月京都東町奉行(第40代)に就任した。在職中、島津久光の入京や寺田屋騒動が起こった。文久2年8月、浦賀奉行となり、元治元年江戸に戻る。