多賀城海軍工廠
多賀城海軍工廠(たがじょうかいぐんこうしょう)とは、宮城県多賀城市にあった日本の海軍工廠。東北唯一の海軍の工場である。現在は工廠跡地の一部が陸上自衛隊多賀城駐屯地になっている。
概要
編集日本が中国との全面戦争(日中戦争)に突入後、海軍省は戦争による軍需の増大と積極的な生産力拡充政策によって国内の海軍工廠増設の計画を具体化したことが本工廠の設置に繋がったと考えられる。そのため本工廠は航空機用機銃、同弾薬包及び爆弾製造専門工場として設置された。また、多賀城村に設置された理由としては、東北の人的資源が豊富であり、安価な土地が入手可能で、陸海交通の便がよいこと、船岡に海軍第一火薬廠を控えているなどの地理的要因と、昭和9・10年の冷害(東北凶作)により疲弊が著しい東北地方を振興する必要があるという経済的要因があったためとされている。
沿革
編集年表
編集- 1938年(昭和13年)、柴田郡船岡村(現:柴田町)と多賀城村(現:多賀城市)内の現地調査が行われる。
- 1939年(昭和14年)8月1日、海軍火薬工廠船岡支所(後の海軍第一火薬廠)が開庁する。
- 1941年(昭和16年)、多賀城村が再調査が行われ、海軍工廠建設計画が決定されたとされる。
- 1942年(昭和17年)7月、建設工事が開始される。
- 1943年(昭和18年)10月1日、開庁する。
- 1945年(昭和20年)8月15日、終戦する。
- 同9月2日、現状維持のまま占領軍(米軍)の管理下に入り、米軍第14軍団第11空挺師団188連隊が駐屯地として進駐する。
- 不明だがおそらく1952年(サンフランシスコ平和条約の発効)、在日米軍が撤退すると同時に、用地全てが大蔵省に返還された。
- 1954年(昭和29年)、火工部跡地の多くが陸上自衛隊多賀城駐屯地となる。
設備
編集組織
編集- 総務部
- 会計部
- 医務部
- 製鋼部ー弾頭や弾帯の製造を担当。
- 機銃部ー20㎜機銃、7.7㎜機銃などの航空機銃の製造を担当。
- 火工部ー焼夷爆弾や親子爆弾、照明弾や吊光弾などの信号爆弾の製造を担当。
- 工員養成所
施設
編集- 敷地 4,961,600㎡
- 建物 2,024棟
- 旨