多田悦太郎
多田 悦太郎(ただ えつたろう、1870年11月16日(明治3年10月23日)[1] - 没年不明)は、日本の政治家、神奈川県多額納税者[2][3]。
人物
編集神奈川県人・多田勘兵衛の長男[2]。1889年、家督を相続する[2]。明治法律学校に学び、農業を営む[2]。成瀬村会議員、同学務委員に選ばれる[2]。中郡会議員、成瀬村農会長、同青年会顧問等に挙げられる[2]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[1]。住所は神奈川県中郡成瀬村[2][3](現伊勢原市)。
家族
編集- 多田家
脚注
編集- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第8版』タ78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月7日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第35版』付録 全国多額納税者 神奈川県12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年3月4日閲覧。
参考文献
編集- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。