多治比犢養
多治比 犢養(たじひ の こうしかい)は、奈良時代の貴族。官位は従五位上・遠江守。
時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天平宝字元年7月4日(757年7月24日) |
官位 | 従五位上・遠江守 |
主君 | 聖武天皇→孝謙天皇 |
氏族 | 多治比氏 |
兄弟 | 犢養、礼万呂、鷹主 |
経歴
編集天平13年(741年)従五位下に叙爵し、天平18年(746年)左京亮に任ぜられる。
天平勝宝元年(749年)孝謙天皇の即位後まもなく式部少輔に任ぜられるが、天平勝宝4年(752年)遠江守として地方官に転じる。天平勝宝6年(754年)従五位上。天平宝字元年(757年)兄弟の多治比礼麻呂・鷹主と共に参議・橘奈良麻呂が主導する策謀(紫微内相・藤原仲麻呂の殺害、および天皇の廃立)に参画する。しかし、事前に密告により策謀が露見して捕らえられ、杖で何度も打たれる拷問を受け獄死した(橘奈良麻呂の乱)[1]。
官歴
編集『続日本紀』による。
脚注
編集- ^ 『続日本紀』天平宝字元年7月4日