塚原周造
明治期の官僚
塚原 周造(つかはら しゅうぞう、1847年6月3日(弘化4年4月20日) - 1927年(昭和2年)9月14日)は、明治期の官僚、商船学校校長、東洋汽船、日本海員掖済会創立者。号は夢舟。
経歴
編集下総国豊田郡(現・茨城県)生まれ。1868年(明治元年)慶應義塾に入り、土佐藩に聘せられて洋学教官となる。大蔵省九等出仕を命ぜられる。前島密を補佐し、上海航路をアメリカより買収し岩崎弥太郎に25万円の補助金を与えて、これを経営せしめる。商船学校を三菱の手より引き上げこれを官立とする。1893年(明治26年)官職を辞し浦賀船舶会社を設立し、1896年(明治29年)東洋汽船会社を設立した。墓所は多磨霊園[1]。
栄典
編集- 位階
- 勲章
脚注
編集参考文献
編集- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、405-406頁 。(近代デジタルライブラリー)